岐阜和傘と職人
目次
「開いて花、閉じて竹」と謳われる、和傘の美しさ
開いた瞬間、色がふりそそぐような和紙の色、繊細な糸かがり。
閉じれば凛とした竹の線。
岐阜は日本の和傘生産シェア1位を誇り、職人芸を競ってきた和傘産地です。
1本の和傘に、職人が2か月以上手をかけ、作り上げます。
傘の骨組みは、まっすぐしなやかな一本の竹を均等に割って作ります。傘をたたんだ時に、また元の竹と同じ形になるように組むので、節がきれいに揃い、等間隔に広がっていくのです。
とじるときは和紙が渦巻のように内側に折りたたまれ、竹の線だけがおもてに見えます。
地道な作業ですが、こうした職人の心遣いと伝統の技一つ一つが、精緻な美しさをうむのです。
また、和傘は開いて上から見たときと下から見上げた時で、ハッとするほど印象が変わります。傘を開いたときの、万華鏡に包まれるような光の美しさ。コントラストを添える糸かがりの幾何学模様。そして、和紙の上ではじける雨音。
ぜひ感じていただければと思います。
岐阜のあちこちで、和傘を干す華やかな光景が見られた時代がありました
岐阜県岐阜市は、まちを流れる長良川の恵みを受け、和紙や竹が集まってくる場所のため、工芸の産地として栄えました。岐阜和傘とは、岐阜で作られる和傘のことです。
岐阜和傘は、江戸時代後期に加納(現在の岐阜市南部)藩主が奨励し、江戸末期には年間50万本もの和傘生産がありました。
最盛期の昭和20年代にはなんと、年間1500万本もの生産があったそうです。
現在も日本最大の生産地です。
ところが岐阜和傘の製造に携わる職人の数は年々減少し、産地として、そして日本産の和傘という伝統がなくなってしまう大きなピンチを迎えています。
美しい日本の和傘が永く継承されていくことを願って、伝統を支えている職人の方々や、材料を確保するプロジェクトの支援者がいらっしゃいます。
岐阜和傘を支える職人
高橋和傘店:田中 美紀
坂井田永吉本店にて十年余り勤めたのち、現在は独立し、
ひとりで工房を構える。
和紙好きから和傘職人を目指した通り、和紙の魅力を存分に楽しめる日傘に個性が現れる。
確かな技術と粋なセンスにより作り出される美しい和傘に定評がある。
仐日和(かさびより):河合 幹子
和傘問屋の家系に生まれ、幼いころから和傘作りを身近に見て育つ。
話題を呼んだ桜型和傘やオリジナル和傘を手掛けるなど、高い技術で、華やかで美しい和傘作りが評判。
坂井田永吉本店
大正2年創業
岐阜和傘問屋
創業者の坂井田永吉氏は、雨傘が主流の和傘に斬新なスタイルの日傘を考案、製作した。
現在は、神社の差し掛け傘の製作や修繕を担うなど、伝統美である和傘の技術を脈々と受け継いでいる。
マルト藤沢商店
昭和6年創業。岐阜和傘問屋。
長らく職人の育成にも尽力し、岐阜和傘業界を牽引している。
日常使いの蛇の目傘から歌舞伎や日本舞踊の舞傘や祭事用和傘まで、取り扱う和傘は多岐にわたる。
長屋木工所:長屋一男
和傘を開閉するための要の部品である「ろくろ」を作る全国でただ一人の職人。現在、後継者育成に尽力している。
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